12月25日に起こった埼玉県飯能市美杉台の一家3人殺害事件で逮捕されたのは無職の斎藤淳(さいとうじゅん)容疑者。大学は大阪芸術大学を卒業し、後に映画監督としても活動していたというのが興味深いですね。
斎藤淳の出身大学「大阪芸術大学」
『手紙』2005 16mm 16min
仙台短編映画祭2005「新しい才能プログラム」上映
TIROL Short Film Contest審査員特別賞
第3回シネアスト・オーガニゼーション ・大阪エキシビジョンオープンコンペ部門最優秀賞
こちらは、後ほど紹介する、斎藤淳容疑者が監督として制作中だった作品「ギフト」のブログ内に記載されていました。
これによると斎藤淳容疑者は大阪芸術大学を卒業しています。高校卒業前に両親が離婚してしまうという境遇ながらも、映画監督を志し大阪芸術大学に進学し卒業していたことがわかりました。
斎藤淳容疑者が映画監督を志したのは父親の影響が大きかったようです。
とは、斎藤淳容疑者の父親のコメントです。
「サスペンスやアクションやホラーなどは好まず」って、斎藤淳容疑者が行った犯行はまさにホラーなんですが。。
斎藤淳容疑者が映像を学んだ大阪芸術大学は私立ですので学費も相当です。高校3年生のときに父親と母親が離婚していますので学費は母親がだしたのでしょうか。離婚はしても子供はかわいいはずですので父親の援助があったと考えるのが妥当かもしれません。
授業料 1,050,000円 年額合計(半期分納額)1,510,000円(755,000円)
斎藤淳は映画監督だった
2007年、彼は若き映画監督で、編集中に突然、周りと連絡を絶った。2回、この白い家まで説得に行ったのが最後やけど、顔も全然変わってない。あの作品でつまずいてから、あのまま15年も引きこもってたんやろか。未完の映画『ギフト』はまだパソコンに残ってるんやろか。なんか分かるし、つらいな。
— 西尾孔志 (@nishiohiroshi) December 26, 2022
2007年ですから、今から15年ほど前に斎藤淳容疑者は映画製作をしていたということです。作品名は「ギフト」。こちらは結局未完のままだったようです。
当時のことを知る人物が週刊誌の取材にこのように答えています。
この知人男性は、斎藤淳容疑者のこと「『元・振り込め詐欺犯』というようなデマではなく、前途も才能もある若者だったということをお伝えできたらと思います」と話しています。
音信不通になって心配して家まで訪ねてくれる、そしてこのような事件をおこしても斎藤淳容疑者のことを正しく知ってもらいたいという人がいる。振り込め詐欺犯なんかじゃなく普通の人だったように思います。
斎藤淳未完の作品「ギフト」のブログがあった
斎藤淳容疑者の未完の作品「ギフト」にはブログがありました。
co2kikaku3.exblog.jp制作のいろいろ書きます。
by j-saitou2007
中を覗いてみると、ほとんどがスタッフさんのつぶやきのようなものでしたが、斎藤淳容疑者が写っている写真もありました。
斎藤淳容疑者は、写真撮られるのが嫌いだそうで、かろうじて撮れたのがこの顔無し写真とのことでした。
こちらのブログには「ギフト」のオーディションの告知がされていました。そこに「ギフト」のあらすじが記載ありましたので紹介します。
家具屋で働く男AはHIV陽性の告知を受ける。家族には打ち明けられなかったが、
友人の瀬戸にはそれを打ち明けることが出来た。彼は病気のこと、好きな女性がいることを話した。
瀬戸はアクセサリー職人を目指して日々作品の制作に励んでいる。手は動かし続けるものの、
作品はなかなかあるべき姿には近づかない。彼は同棲している里紗と一緒に男Bのラジオを聞く。
男BはゲイでラジオのDJで、最近恋人よりも仕事を選んだ。だがディレクタ—の村上が連れてきたのは
さつきという新番組のパーソナリティだ。ビルの壁面には大きな彼女が微笑んでいる。彼の放送は終了するのだ。
このあらすじで内容を理解しようと何回も読んではみたのですが、よくわかりませんでした。
でもこのブログを見る限り、「ギフト」は斎藤淳容疑者を中心にスタッフさんたちと皆で一生懸命つくりあげていく様子がわかりました。
言えるのは、この時には斎藤淳容疑者には仲間がいたということ。けっして「ぼっち」ではなかったということです。
斎藤淳の映画作品は
斎藤淳容疑者は未完の作品「ギフト」以外にも作品がありました。
『手紙』2005 16mm 16min
仙台短編映画祭2005「新しい才能プログラム」上映
TIROL Short Film Contest審査員特別賞
第3回シネアスト・オーガニゼーション ・大阪エキシビジョンオープンコンペ部門最優秀賞
「手紙」という短編映画のようですが、こちらは賞も受賞しているようですのですごいですね。
こちらが仙台短編映画祭2005「新しい才能プログラム」で上映されたときのポスターですが、しっかりと「監督:斉藤淳」と記載があります。
そしてTIROL Short Film Contest審査員特別賞を受賞していますので、才能はあったのかもしれません。内容などが気になるところですが、さがしてみたのですが内容について書かれているものはみつかりませんでした。
もしかしたら本当に映画監督としての才能はあったのかもしれません。そうだとしたらもったいない。なんとか頑張って続けていたら、このような事件は起こさなかったのではないかと思ってしまいます。
父親の悲痛「申し訳ないという言葉では足りない」
父親が語っていた幼いころの斎藤淳容疑者をまとめました。
- 父親と公園や山でよく遊んだ
- 定期的に家族旅行に行ったりした
- 活発な子供だった
- 少し神経質で繊細なところもあったが優しい子供だった
- トランスフォーマーのようなロボットものが大好きだった
本当にどこにでもいる普通の子供だったようです。
高校卒業前の3年生の時に両親が離婚しました。離婚の原因は子供たちには全く関係のないもので夫婦の問題だったそうです。
父親が、離婚のことを斎藤淳容疑者に告げるとだまって聞いていたとのことですが、おそらく内心は相当なショックだったと想像します。繊細な子供ならなおさらですね。
父親によると、母親と姉が家を出て行ったのが10年くらい前、出て行った理由は斎藤淳容疑者による暴力だったのだとか。
その頃の斎藤淳容疑者は(現在もですが)定職に就かずアルバイトをしては辞めてを繰り返していたようです。
ですので、気持ちはすさんでいたかもしれませんが、決して引きこもりではなかったようです。やはりこの15年のあいだに心の闇が膨らんでいったのかもしれません。
こんなとんでもないことを……申し訳ないという言葉では足りない……
父親は、自分を責めていることでしょう。息子がやってしまった取り返しのつかないこと。。すべて自分が悪かったと。。もう少し気にかけてあげれば良かったのではないかと。。息子に寄り添ってあげていたら良かったのではないかと。。親ってそうだと思います。
斎藤淳容疑者がずっとあの家に住み続けたのは、もちろん定職に就いていないので経済的なこともあるかもしれませんが、幸せだった子供の頃の思い出がつまった家だったからなのかなと感じました。
そして思い出に浸りながら、こどものころのまま実家に住み続ける「こどおじ」になってしまった。。。
【追記】斎藤淳犯行動機を話したくない理由「犯行の重大さに対して動機が小さい」
斎藤淳容疑者は依然として事件について供述をしていないようで、動機などはいまだにわかっていません。
斎藤淳容疑者は長く自宅で一人暮らしで、近所との付き合いもほとんどなかったようです。驚いたのはスマホも持っていなかったということで、本当に社会とのつながりを絶っていたということが改めてわかりました。
(NHKより)
社会とのつながりを絶っていた斎藤淳容疑者が、ビショップさん一家にたいしてどのような怒りや恨みを持ったのか謎です。
情報番組をみていたら、専門家が動機に関する見解を次のようにコメントしていました。
なるほどと思いました。動機について進展ありましたら追記いたします。
【追記】斎藤淳容疑者が容疑を否認
逮捕直後は犯行理由を「言いたくありません」と供述を拒んでいた斎藤淳容疑者であったが、ここにきて「私はやっていません。身に覚えがない話です」と容疑を否認していることが明らかになったと報じられました。
防犯カメラの映像に凶器を持った斎藤淳容疑者とみられる男が襲い掛かる映像が映っていることや、斎藤淳容疑者宅から押収した衣服に付いた血液のDNA型が、被害者3人のものと一致したと明らかになっています。
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